2011年02月25日

2003年(結成時)

2003年を振り返って・・・。


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☆今年一年を振り返って来年やってみたいこと。☆


報告者 エセ釣り師

今年は今までのスタイルを変えて新しいことにチャレンジした一年でした。
トーナメンターは殆ど細仕掛けなので真似してみようと思い、始めてハリス一号と道糸二号をためしてみてみましたが、魚が掛かる回数は若干多い気がしたけど、大きい魚が掛かると技量がないために直ぐにハリス切れするので滅多に無いチャンスを逃してしまい細仕掛けにして良かったなと思ったことがあまりありませんでした。
逆にやっぱり今まで通りハリス二号を基準として、太くても2.5か3号でどんなに細くても1.5号までかなと思うようになり、来年は道糸を3号(4号でもいいかも)に戻そうと思っています。
後は今年からレバーブレーキを使い始め、まだまだ不慣れだけどドラグよりも面白いし、
使い慣れたらこっちの方がやっぱり突っ込まれた時に対応ができると思ったので、レバーブレーキはこれからも使っていきたいと思っています。
インターラインも最近から使い始めたけど、たたむのが今だにできなくて、
いつも道糸を傷つけているので早いとこマスターしたいです。っていうか外ガイドが欲しい!
今年から始め、まだ二回しかやったかとがないダンゴ釣りは、チヌ釣りに関しては自分の中で理想の釣りだと思っているので、来年はしばらくダンゴ釣りの研究でもしてみようかなと思っています。
ダンゴ釣りは撒き餌と刺し餌の同調は完全にできているし、ダンゴが割れた後に刺し餌が浮き上がって誘いにもなるし、
表層にいる餌とりにも強いし、海底の一箇所に魚を集めることができると思っていて、
フカセ釣りよりも底物に関しては良いことだらけだと今のところ思っているので、
手が臭くなるのは多少我慢して頑張ってみたいと思っています。
他にもやってみたい釣りは落とし込み釣りで、落としこみ釣りの良い所は何と言っても餌代が安いことだと思っています。
歩きまくるのは疲れそうだけど、金が無いときにちょっとやってみたいです。
来年の目標は「数よりも大きさ、そして掛けたものは逃さない!」を目標にやっていきたいと思っています。
因みに初の40cm&キロオーバーを釣ってみたいです!




☆『2003年は,』☆


報告者 酒釣師もとい徘徊釣師

今年は冷夏に暖冬でした。
四月から大学4年になれました。単位が足りないとビビっていましたが,計算を間違えていて,ホントはたりてました。
就職活動の時期でしたが,なにもしてませんでした。皆がやってるのを聞いて,慌てて動きました。
そしたら冗談抜きで,内定が貰えました。俺ってラッキー。
八月にバイト代で釣り竿を買いました。が,バイトを二ヶ月で首にされました。店長のあほ,こっちから願いさげじゃ。
前期で必修単位を危うく落とすところでした。せっかく決まった就職もなくすところでした。山川教授ありがとう。
後期の単位もよろしく。
9月の終わり頃に財布をなくしました。いや,盗まれたのかな?とりあえず,酔ってたので記憶もなくしてしまいました。
今後,お酒はほどほどに,と思いました。
那覇マラソンに出ました。前回同様,途中からおもいっきり歩いてました。おかげでタイムはさがりました。
来年はどうしようかなあ。
2003年を思い返してみるといろんなことがあった。良いこと,悪いこと,どうでもいいこと,他多数。
自分が成長しているかは置いといて,環境が変わった事と言えば,釣りを始めた事だろう。
釣り竿なんか買っちゃって大丈夫か?おい! とか思ってたけど,以外とおもしろいもんでした。
あたりがでなくて,全然釣れないとやっぱりたのしくないけど,ウキが沈んでいくのをみた時が一番興奮する。
『来た!』って思うとなんか期待してしまうんだけど,小さい魚なのよね。
でかい魚,強い引きを味わった事がまだない。まだまだ,素人同然だからしかたない。
その反省としては,もっと釣りしに出ていればよかったと思う。
しかし,来年からは竿を出す回数を増やして大物を釣れるように頑張ろうかと思う。
もっと釣りの醍醐味を味わいたいかな?って,あんまりでかい事は言わないでおこう。
とりあえずは,2004年は,残り少ない学生生活を満喫し,社会に出ても楽しみ,良い年にできるようにがんばりたい。





☆今年を振り返って…☆


報告者 破壊釣り師

過去の釣行から考えてみると、今年程釣りにのめり込んだ年はなかったと思います。
週末&休日はほとんど海にいる日が多いんじゃないかな?って感じるぐらいでした。
これもチームを作り誰よりも1番になりたいと思った心の表れがそうさせているんだと思います。
個人的な思い出は、港川で偶発的にも釣れた3匹の小型チヌ・苦戦しつつも劇的に釣り上げた北大東での巨大イラブチャー・過去の惨敗とプライドをとり戻せたやっぱり安田!での良型グルクン数釣りが印象深いです!
まぁ元々、昔から釣りは好きなんですが、きちんとした分析や研究等をしなかったため、うまく結果を上げることができませんでした。
また飽きっぽく長続きしない性格なんですが、今日まで釣りを続けてこれたのも、釣れた時の感触、未知なる魚への期待感、そして猛魚との格闘が楽しみで忘れられないからです。
そして今年を改めて振り返ると各々の釣りレベルが上がり、実力も拮抗してきたと感じました。中には道具だけは揃っていて一流だが未だ結果を出せない物もいますけど。
そんな感じで来年も皆とバトルをしつつ、猛魚を追跡しつつってな感じでいきたいです。
そこで1つ!猛魚を追跡するなら
やっぱ安田だよ。





☆俺には長く感じたこの一年☆


報告者 麦わらの釣り人

三月三十一日、埼玉から出る時、様々な人にお世話になったにもかかわらずぎりぎり
までしていた仕事を理由に挨拶に行けなかったことをこの場を借りてお詫び申し上げます。
この時は沖縄に帰れることしか見えてない、まだ視野の狭い子供だったんだ、と今となってはつくづく実感させられます。
おそらく「沖縄に帰るとー」を自分のキャッチフレーズにあの四年間に、
溜まっていたフラストレーションからくるリバウンドに似た感じのようにこのことしか考えてなかったのは事実です。
ここで、キャッチフレーズの内容を少し出してみます。
沖縄に帰るとー職ついてー学費返してー、野球のチームを作ってーバイク(RVF400)
買ってーその足が出来たらー小さい竿買ってのほほん釣りしてー・・・みたいなことでした。
現実ではやっぱりそうあまくはありません。
現実では物価の落差に驚いてー自分の職を見つけられなくてー(一身上の理由のより)バイト
してー釣りのチームに入ってー竿買ってーずっと釣り・・・というような、ほとんど遊びにこの一年を使いました。
まさか、自分自身、ここまで釣りにはまるとは思いもよりませんでした。
やっぱ沖縄は良いです。これからも沖縄に住み続けたいものです

ここで少し余談ですが、ものすごく勝手なことですが、釣りってエッチしてる感じしませんか?
大物が掛かった時(上がったことはありませんが^^;)の陶酔感。
ありゃ癖になります。またはオ○ニーしてる感じですかね?
なんか、それを求めて習慣じみてるとこが俺にはあります。
私も、スケベなんで気持ち良いことは本を買ってでも追求したいですので、
これからは、理論的に「釣り」をみていきたいと思っています。
もっと気持ち良くなる為に・・・^^
で、話を戻しますが、今年の釣りを振り返ると釣行数と釣果が全く満足いってないことですね。
数は上がっても、自慢できるサイズでない・・・(トーナメントで一目瞭然)このままではいけない、
釣りも職も両立できるようにし職あって、家族あって、彼女あって、
チームあっての釣りだということを胸に刻みもっと効率よく釣りを楽しめるようなものに来年の目標の一つにして、
この場を締めさせていただきます。これからもチームの皆さんよろしく御願いいたしますm( __ __ )m





☆年末レポート!?☆


報告者 カウパー仙人&なおりん

はいさーい!カウパー£なおリンでーす!忘年会おつかれさまでした!超楽しかったよ!!始めに言っとくね!
今年はみんなありがとう!!・・・・年末の忙しい時期にみんなの都合を調整したり店の予約をしたりなどなどの幹事をしてくれた破壊さんに謝謝!!実際の飲み(揉み!?)
現場でみんなを考えてスムーズに進行させてくれる広い視野を持ったボラさんに謝謝!!
今回は珍しく酔い潰れてしまったけど、いつも自分の信念でみんなと熱さみなぎる語りをしてくれるむぎわらさんに謝謝!!
いろんな話の持ちネタのなかに織りまぜる絶妙な毒舌がつぼにハマる上げ師さんに謝謝!!
多くを語らずシャイ?で、あまり一緒に釣りする機会がないまま(でいいのか!?)内地に行っちゃう徘徊さんに謝謝!!
今はまだ内地にいるけど、沖縄帰ってきたら強敵になりそうなエセさんに謝謝!!
・・・・今年を振り返れば、チームのメンバーで南部・中部・北部と一通り釣行しましたが
結果は全然満足できるものではありませんでした。
・・・やしがよぉ、釣りのレベルアップや釣果の安定も釣りチームとして大事だけど、それはそれでゆくゆくでいいと思う!!
話して楽しい、飲んで楽しい、揉んで楽しい、そしてなにより釣りして楽しい猛魚追跡というチームに入っているということと、
それぞれ性格も考えも個性派で面白いうえに、
みんながみんなのことを考えているメンバーとまた来年も再来年もこの先も一緒に釣り・飲み・揉みできるということだけで、
今年の活動を超満足!!満足!!しております!!来年も、ゆたしくうぬげぇさびら!





☆反省+抱負☆


報告者 上師

2003年を振り返って、まだ結成6ヶ月の「猛魚追跡」ですが色々と思い出深いことが結構ありました。
始めのうちはチーム名をどうするかと毎週末居酒屋にいた記憶があります。
あのときは私とボラ君、そして破壊君の三人でよく飲んだものです。
いや、今でもそのへんは変わっていませんが、
あのときは「あーでもない!」「こーでもない!」とチーム名について討論しておりました。
その内容が余談になるんですけど、私は後の自分の名前「上げ師」がかっこいい!と意見したのですが、
破壊君が「いやいや、暴走族のような気合いの入った名前がいい!」と言い、破壊何とかにすると譲りませんでした。
これまた後の破壊君の名前に由来していたはず?ボラ君は三十代になっても恥ずかしくない名前なら何でもいいと言っていました。それじゃと言うことで、漢字のみ、釣り集団だとわかるような名前ということで「猛魚追跡」が結成されたような思い出があります。
名前が決定すると同時期に、馬鹿みたいに釣りをしていたことも思い出されます。
あのころは太陽が痛い季節、私とボラ君、破壊君はクーラーボックスに
ビール6缶パックを入れてリーフやハブ堤によく行ったものです。
季節も手伝って、釣果はまずまずでした。
破壊君がチヌの釣れるポイントを発見したときは、私もみんなより大きな獲物を釣ろうと模索もしたものです。
私なりの模索した結果がチヌ1号浮きにハリス1.5号、グレ針7号でした。
しかし、深夜の佐敷の某漁港、夕暮れのハブ堤、そして川田漁港においてこの仕掛けでは大物が掛かっても
上げることができませんでした。
そこで2004年からは浮きはそのままのチヌ1号、ハリスを3号に変え、
グレ針からチヌ針1号に変えてカーエーの40センチオーバーを狙っていきたいと思います。
確かに外道かもしれない。
けれど、そろそろ結果を残さなくてはならならないのである。はっきり言って焦ってます。
とりあえず結果を残した上で、レベル向上の一環にハリスの号数を下げていきたいと思っています。




☆チーム ”猛魚追跡”結成前~2003年を振り返って・・・。☆


報告者 やっぱボラでしょ!?

2003年は、“猛魚追跡”というチームを立ち上げた年でした。
釣りは、チーム結成以前から、ちょくちょく高校時代の仲間(現チームのメンバー)で
池田ダム(熱帯に生息するブルーの魚が、何故かここのため池で爆釣する・・・。)やホームグラウンドである港川で行っていました。
まぁ、その時は、“釣り”というものをそんなにまで深く考えず平気でハリス2~3号で“稚魚”を狙っていました.。
まぁ、そう言うレベルの釣りでした。その当時は、現在の様に月に何回とか週に何回等と釣行する回数はごく僅かでした。
そして時が経ち、各々が念願の大学に進学していきました。(第1志望校だったのかは微妙・・・.。)
そこで、“本場の釣り”というものを体験??いや、体感させられました。
私は、全国的に有名な五島列島(男女群島等)と言えばわかるように、“釣りのメッカ”である長崎県の大学に行くことができ、
長崎の釣りの繊細さ、奥深さに感動して大学で釣りのサークルを創りました。
そこで、様々な先輩や後輩との出会い、そして、全国大学釣り選手権大会(三重県尾鷲市)への参加で、
私の中で今まで“釣り”と認識していたものが崩壊していきました。
全国大会参加1回目(2年次)では、“スポーツキャスティング”という重りの飛距離を競うというクダラナイ競技に参加しました。
なんのために遠路遥々長崎から来たのか分かりませんでした。
まぁ、結果も出せなかったのもありますが・・・。(でも、飲みは全国でもトップレベルだったみたいです・・・。)
まぁ、その時に宿泊所で同じ部屋だった某M大学曰く、「このライン知ってるか??」から始まり、
ラインの伸び、色、巻き具合、等を眠いのに約2時間半ブッ続けで話された日には、
「俺は、何かアブナイ宗教団体の勧誘じゃないのか??」と微妙に緊張していたのを今でも覚えています。
全国大会参加2回目(4年次)では、念願の磯釣り部門に参加する事ができました。
今回は前回とは違って釣行回数も重ねたし、どんな事があっても対応していけるのではないかと思い、参加した所・・・。
はい。やはりそうでした。また、あの惨劇が・・・。
「やっぱり、竿はがま磯だよな~」「カーボン比率98%だしな~。曲がりも綺麗だしな~。」
「でも、がまかつって、最近開発担当者の○○さんから○○さんに人事異動あったらしいぜ~。」
「オレ、あのデザイン好きじゃないんだよな~竿の調子も微妙にシックリこないし・・・。」
磯釣り部門のバス移動のとある会話より抜粋。・・・・・・・・・・・・。(黙)
「何なんだ、このマニアックな集団は??大丈夫か??」とまたまたド肝を抜かされました。
一般的にガンダム系もしくはミリタリー系って言うのがいわゆる“オタク”というものじゃないか??
と自分を疑ったのは僕だけでしょうか・・・・。
だが、そいつ等が凄いという事に大会で身をもって知らされました。
普通にハリス1.5号で50オーバーのチヌをバンバン上げていました。
「お前ら本当に大学生なのかよ??」
 まぁ、そういう感じで、全国大会を経て“磯釣りの本質”たるものを目の前で感じました。
これが、きっかけとなり、どんどん“釣り”というものに没頭??いや、埋没??していきました。
その時に、もし自分が帰郷するのであれば、是非釣りのチームを結成し、
自分が長崎で学んだ知識や技術をかつての釣り仲間に伝え“猛魚制圧”“釣技向上”に勤めたいと考えていました。
という感じで今の“猛魚追跡”というチームの発足に至っています。

 えーっと、長くなりましたが、2003年を振り返って、思う事は、やはりチーム結成となった年という事ですね!
それと、大学卒業して、初めて仕事に就いたという事ですね!まぁ、臨時ではありますが・・・。(泣)
それに、今年は、病気も怪我もせず常に健康であった事に感謝しています。
釣りに関しては、北は安田漁港~南は糸満まで沖縄本島を週末になる度に駆け抜けていたような気がします。
(流石のリーフには、はまりましたよ。笑)
まぁ、誰かさんは、就職試験前だというのにも関わらず、”釣り>就職”になっている人もいましたが・・・。大丈夫か??おいおい!!
メンバーも初めの内は、船竿やらブッ太いハリスやら「こいつ等の”釣り”って・・・。」と思った時期もありましたが、
気が付けば、各々、ちゃんと道具が揃ってきており今となっては良い思い出です。
釣技的な面でも、「絶対、こいつ等よりは、オレの方が数段レベル上だな!!負けるなんて有り得ない」と思っていましたが、
最近から皆”釣り”というものを論理的に考える力がついてきて、
「やばっ!?もうここまで追いついてきたか・・・。」と思ったりもする今日この頃です。
でも、自分が持っている知識を出し惜しみせず、皆に教えていきチーム全体のレベルをもっともっと向上させていければ、本望です。
まぁ、そういう風にして、凌ぎを削ってみんなで楽しんでいける”釣り”をいつまでも続けたいですね!
そして、念願の男女群島制圧に・・・。だが正直、まだまだ、程遠いな~。

あと2004年は、採用試験と釣りを文武両道で頑張っていきたいです。
特に釣りがメインにならない様に自分自身にけじめをつけて・・・。の~り~お前もだぜっ!!
最後に、これから就職や転勤等で、チームを出て行く人が居るかもしれません。(現に居ますが・・・。)
そのチームを離れていく人の籍をいつまでも残しておき、
いつ帰って来ても、以前と変わらぬ友の顔があるというような雰囲気を作っていきたいです。
また、そういった人たちとの連絡も密に取れるようにインターネット上にホームページも開設した訳ですが、そのHPも出来る限り更新していきたいと思うので、皆さんの暖かい声援宜しくお願いします!!

2004年も皆で頑張っていきましょう!!




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